妻のお腹には、23週の双子がいた。ある日、その二人は600g台で、予定よりずっと早く生まれてきた。
そこから、双子が二人とも家に帰ってくるまで、約180日。NICUに通い続けた、半年間の記録です。
このページは、その180日の地図です。何が、どんな順番で起きたのかを、大きく見渡せるようにしてあります。一日一日のことは、それぞれ個別の記事に書きました。今まさに同じ状況にいる方は、気になるところから読んでください。
この記録のもとにしているもの
ここに書いていることは、当時、毎日書き続けていた日記をもとにしています。
出産の翌朝、まだ会いに行けない妻へ宛てて、車の中で書いた手紙。面会から帰った夜に、数行だけ残したメモ。眠れない夜に、検索しても答えの出ない不安を、そのまま書き留めたもの。そうした記録が、手元に残っています。
3年が経った今、それらを読み返しながら、あらためて文章として整理しました。だから、ここにあるのは後から作り直した物語ではなく、その日に感じていたことに近いものだと思います。
NICUで親が抱える不安は、一つではありませんでした。「助かるのか」だけでなく、「いつ終わるのか」「親として何ができるのか」「家に帰った後はどうなるのか」と、形を変えながら続いていきました。同じ不安を抱えている方は、ページの最後にある「6つの不安軸から読む」から、自分に近いものを選んで読むこともできます。
第1部 祈ることしかできなかった日々
すべては、妻からの一本の電話から始まりました。
その日、妻の容体が急変し、緊急帝王切開になりました。母子ともに危険な状態だと言われ、何が起きているのか飲み込めないまま、ただ手術室の外で立って待ちました。生まれた二人は、サランラップのようなものに包まれて、別々の救急車で、それぞれ別の病院へ運ばれていきました。
その日、家に着いたのは夜の22時すぎでした。寝室の電気を、真っ暗にすることができませんでした。
翌朝、ほとんど眠れないまま、妻へ手紙を書きました。普段なら恥ずかしくて絶対にやらないことが、そのときは少しも恥ずかしくありませんでした。家族は、みんな離れ離れでした。妻は手術明けで面会に行ける状態ではなく、双子のところへ毎日通うのは、自分の役目になりました。
「72時間が山です」と言われました。頭の出血のことで、初めて「レベル」という言葉を知りました。家に帰って調べても、自分が本当に知りたい答えは、どこにも出てきませんでした。
この頃は、面会に行くたびに、何かを告げられました。頭のこと、血圧のこと、呼吸のこと。心配な説明ばかりが続きました。だからある日、何も言われなかっただけで、こんなに楽になれるのかと驚きました。悪い知らせがない。ただそれだけのことでした。
保育器の札に「ベビー①」「ベビー②」と書かれていた二人に、名前をつけたのもこの頃です。面会では、見ていることしかできませんでした。それでも初めて、綿棒に母乳を浸して、小さな口に含ませました。母乳は、妻が三時間おきに搾って届けたものでした。やがて量が足りなくなり、ミルクドナーという制度に助けられました。
進んだと思うと、必ず次の心配が来ました。弟の心臓近くの血管のこと、兄の肺のこと。厳しい説明を受ける日もありました。夫婦そろって、限界に近づいていた時期でもありました。
それでも、帰り際に「またくるねー」と声をかけたとき、弟が目を開けたことがありました。偶然だとわかっていても、ぐっとくるものがありました。
第2部 一歩進むと、必ず何かがあった
しばらくして、弟の血管は、薬では閉じきらず、手術になりました。あの小さな体に、と思いました。
このあたりから、前に進む手応えと、突然の試練とが、交互にやってくるようになります。一方では、初めて泣き声を聞いた日がありました。初めて両手で抱え、手のひらで頭をそっと包んだ日がありました。保育器の中の二人に、親としてできる小さな役割があることも、看護師さんから教わりました。
けれども、一歩進むたびに、また何かが起きました。容体が急に変わり、予断を許さない場面もありました。目のこと(未熟児網膜症)を告げられたのも、この頃でした。
第3部 少しずつ、触れられるようになった
冬になりました。
目の治療が続き、骨のことで心配した時期もありました。試練がなくなったわけではありません。
それでも、この頃から、返ってくるものが少しずつ増えていきました。指に触れると、握り返してくれる。ふとした瞬間に、目が合う。初めて、自分の手でお風呂に入れた日もありました。病院の中にも、季節の小さな行事がありました。
見ているだけだった日々から、少しずつ、触れられる日々になっていきました。
第4部 兄が先に、家に帰ってきた
退院には、条件がありました。
二人そろって、ではありませんでした。整った子から先に、という形でした。そして、兄が先に、家に帰ってくることになりました。
ようやく一人を連れて帰れるうれしさと、まだ病院に残る弟への気持ちとが、同時にありました。二人を一緒には連れて帰れない。
兄が退院した朝のこと。そして、家に来たその夜から始まった、想定外の夜泣きのこと。
第5部 二重生活、そしてようやくこの日
家には兄、病院には弟。家と病院を行き来する、二重生活が始まりました。
眠れない日々が続きました。夫婦の間にも、これまでになかった緊張がありました。弟の退院がなかなか見えず、焦りもありました。眠れない夜に、起こりうる将来を検索しては、また不安に飲み込まれることもありました。
それでも、ようやく弟も家に帰ってくる日が来ました。
妻と自分の間に、二人を寝かせて、家族4人で横になりました。約180日が、ここで一つの区切りを迎えました。
この続き――家に帰ってからの日々や、その後の成長のことは、いずれ別のセクションに書いていきます。
NICUで不安に思ったこと
NICUに通っていた180日のあいだ、不安に思ったことを書いています。時期によって、不安の中身は変わっていきました。近いものから読んでください。
- 助かるのか分からなかった … 命そのものへの不安と向き合った日々の記録です。
- 退院が見えなかった … 終わりの見えない時間を、どう過ごしていたか。
- 親に何ができるのか分からなかった … 見ていることしかできない中で、見つけた小さな役割。
- 家に連れて帰った後が想像できなかった … 退院後の生活への不安について。
- 夫婦が壊れそうだった … 限界の中で、夫婦がどうなっていったか。
- 障害が残るのではないかと怖かった … 将来への恐れと、その後の日常のこと。
180日を、時系列で読む
一日一日の記録は、こちらから順番に読めます。
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妻からの電話、自転車で10分の道
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不安で眠れなかった夜、初めて手紙を書いた朝
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出産2日後のレベル2、3日後のレベル4
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「お話があります」と言われない日が、こんなにありがたいとは
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名前を決めた日
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初めて綿棒で母乳をあげた
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母乳が足りなくなった日、ミルクドナーという制度を知った
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動脈管が開いた弟、手術かもしれない
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妻への伝え方を間違えた日
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「またくるねー」と弟が目を開けた
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目が覚めたら、痛みだけがあった
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子どものことは、聞いて知るしかなかった
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自分だけ退院した日、家には何もなかった
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搾乳生活、自分にできる唯一のこと
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退院しても、体はまだ戻っていなかった
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あんな小さな体にメスが入るのかと思った
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「明日話があるから午後休める?」と妻からLINEが来た日
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順調だと聞いた翌日、兄の容態が急変した
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収まったと思ったら、今度は弟だった
この続きは、時系列で順次公開していきます。