搾乳生活、自分にできる唯一のこと

私だけが家に帰ってきた、その翌日から、搾乳の生活が始まった。

子どもたちは、別の病院にいた。家には、子どもはいなかった。それでも私の一日は、子どもたちの時間で区切られていた。

搾って、タイマーをかけて、また搾る

ひとつの搾乳が終わると、次の搾乳の時間にタイマーをかけていた。夜中は、スマホで起きていた。

家で、搾乳器を使って搾っていた。片方で10分から15分くらいだったと思う。そのあと、もう片方。終わったら、次の時間にタイマーをかけて、その間に少し眠る。起きて、また搾る。

そういう生活だった。

そのうち、搾乳器の吸引力が落ちてきた。同じころ、私の母乳も、あまり出るほうではなくなっていた。手で搾った方が早い、と感じるようになって、手で搾っていた時期があった。

母乳袋に、時間を書いた

搾った母乳は、母乳袋に入れて冷凍していた。

袋には、搾った時間を書いていた。それを夫が、面会のたびに病院へ持っていった。量が増えた、という実感はなかった。

だんだん、薄くなっていった

子どもたちが必要とする量に、母乳が足りなくなった時期があった。そのことは、夫から聞いて知った。知って、私が何かをしたわけではない。

だんだん、母乳が薄くなっていった。量も、少なくなっていった。

もう、やめようかな、と思っていた。そのことを、看護師さんに伝えた。

その日か、翌日くらいだったと思う。「母乳を直接あげてみますか」と言われた。

ほぼ出ない母乳を、初めて兄に吸わせた。

口に乳首を含ませたとき、すごく力強く吸われた。これが、母乳をあげるときの感覚なのか、と初めて感じた。子どもは、ん?なんだこれ?という顔をして、2回くらい含んで、あまり吸わなかった。

それを、3日くらい続けた。母乳も、ほぼ出ない状態だったから、当たり前だけど。

兄がGCUにいて、退院の直前くらいの出来事だった。

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