子どものことは、聞いて知るしかなかった

出産した日から、子どもたちは別の病院にいた。

私は帝王切開のあとで、起き上がることもできなかった。双子は救急車で、子ども病院のNICUに運ばれていった。私はその姿を見ていない。

同じ市内にいるのに、私と子どもたちは、別々の建物で入院していた。

先生からの説明と、夫からの写真

子どもたちの様子は、自分で確かめることができなかった。誰かから聞くしかなかった。

初めは、出産に立ち会ってくれた小児科の先生が、体重などを教えてくれた。そのあとは、子どもたちが入院している病院の担当の先生が、わざわざ私の病室まで来て、状態を説明してくれた。

聞きたかった。でも、聞くのが怖かった。

夫からは、写真や動画が送られてきた。私はそれを病室で見ていた。画面の中の子どもたちが、私が子どもたちを見られる唯一の方法だった。

それ以外の時間は、搾乳しては寝て、を繰り返していた。

子どもたちを取り上げてくれた助産師さんが、知り合いだったことを後から知った。何度か、心配して顔を見に来てくれた。

夫からの手紙

入院中に、夫から手紙をもらった。

夫らしくないな、と思った。思いながら、一生懸命励ましてくれているんだろうな、と思った気がする。

その手紙は、今も取ってある。

出産の2日後、車椅子で会いに行った

出産の2日後、子どもたちに会いに行くことになった。「会っておいた方がいい」というような話があった。

そんなによくない状態なんだ、と思った。ただ、そのときの私はあまり感情的になることがなかった。どこか人ごとのようだった。

夫が車椅子を押して、子どもたちのいる病院へ行った。

初めて子どもたちを見たとき、自分の子どもだという実感が、全くしなかった。シリコンでできた赤ちゃんの人形みたいだな、と、ぼんやり見ていた気がする。

何か話しかけたかどうかは、覚えていない。

私はこのとき、泣かなかった。夫には毅然として見えていたらしい。でも実際は、いま自分に起きていることが理解できていなくて、心がついていけていなかった。本当に他人事のように思えていた。

頭の出血の知らせ

その場で、先生から、お兄ちゃんの頭に出血が確認されたという話があった。

障害を持つことになるの?と、頭がぐちゃぐちゃとしていた。

面会が終わって、自分の病室に戻った。そのあとのことは、あまり覚えていない。

翌日、出血の状態がさらに悪くなったという知らせがあった。お兄ちゃんはレベル4、弟にも出血が見つかった。

どうやってそれを知ったのか、はっきり覚えていない。夫からの電話だったんじゃないかと思う。

弟は、それ以上悪くならないでほしい、と思った。

このころの私は、自分にとって都合のいいようにしか、ものごとを考えられていなかったと思う。子どもを産んだ実感もなく、母性もなかった。

退院前の説明会

退院が近づいたころ、説明会が会議室で開かれた。私を入れて、5人くらいの母親がいた。

みんな、手首にバンドをつけていた。子どもと毎日面会できる人たちなんだな、と思った。私の手首には、付いていなかった。

同じ空間にいることが、少し辛かった。個別にしてほしかった。

そのあと、私だけが退院する日が来た。

あわせて読みたい