障害が残るのではないかと怖かった

今、このページを開いている方は、もしかすると、その渦中にいるのかもしれません。

「未熟児 障害」「この先どうなる」。そんな言葉で検索して、ここにたどり着いた方かもしれません。私も、同じことをしていました。

目の前の容体が落ち着いてきても、別の不安が消えませんでした。いま病院で告げられていることが、この先、子どもたちの将来にどう影響するのか。確かめようのないことを、ずっと考えていました。

その先のことは、分からなかった

23週、600g台。双子について、医師からは節目ごとに、将来に関わる説明がありました。頭のこと、目のこと、これから育っていく中で出てくるかもしれないこと。

ただ、どの説明にも共通していたのは、「今は何とも言えない」ということでした。「育ってみないと分からない」。そういう言い方をされることが、多かったように思います。

家に帰って調べても、出てくるのは一般的な確率や、漠然とした見通しばかりでした。自分の子どもがこの先どうなるのかは、どこにも書いていませんでした。分からないものを、分からないまま抱えているしかありませんでした。

節目ごとに、何かを告げられた

容体が少し落ち着いてきた後も、将来に関わる説明は続きました。

頭のことでは、出血の程度を段階で説明されました。最初に告げられた段階から、数日後にはもう一つ進んだ段階になっていた、ということもありました。その数字が何を意味するのか、その場では正確には分かっていませんでした。家で調べて、後からその重さを知りました。

目のことでも、検査のたびに説明がありました。未熟なまま生まれた目に起きやすいことがあり、進み方によっては処置が必要になる。そして、その処置をしたらしたで、別の心配が出てくることもある。一つ聞くと、その先にまた一つ、考えることが増えていきました。

説明を聞いている間は、表情を変えないようにしていました。うなずいて、聞いて、質問する。けれど病院を出てひとりになると、足が止まることがありました。今聞いたことが、この先どういう形で出てくるのか。それが分からないまま、ただ抱えて帰りました。

良くなったと聞いて少し息をついた次の面会で、別の説明がある。一歩進むと、必ず何かがある。そういう時期でした。次に電話が鳴ったら、今度は何を言われるんだろう。そう身構える癖が、いつのまにかついていました。

ある時期の日記には、見通しの立たなさについて書いた日が、何度もありました。その日に何が起きたかは書けても、この先どうなるのかは、自分にも書けませんでした。

あの頃、見えていなかったこと

「この先、子どもたちの将来にどう影響するのか」。その不安に、その時の自分は、答えを持っていませんでした。

そして、誰も答えを持っていなかったのだと思います。医師も、「育ってみないと分からない」としか言えなかった。それは、はぐらかされたのではなく、本当に分からないことだったのだと、今は思います。

怖かったのは、一つひとつの説明そのものよりも、その先でした。いま告げられたことが、この子たちの将来にどうつながっていくのか。一つの処置が終わっても、その先に別の心配が見えてくる。それが積み重なって、何年も先、大きくなったこの子たちの暮らしに、どんな形で残るのか。確かめようのないことを、ずっと先まで考えていました。

その先どうなったのか。その頃の自分には分かりませんでした。分からないまま、ただ毎日通っていました。


この不安の中にいた日々の記録

  • 出産2日後のレベル2、3日後のレベル4

この続きは、時系列で順次公開していきます。