その日は、朝から情緒が不安定だった。
ひとしきり泣いて、すっきりした。
後になって思ったことがある。前日は検診の日だった。その前々日には、つわりでしばらく落ち着いていた嘔吐が久しぶりにあって、それを医師に伝えていた。特に何も言われなかったけれど、あれも前兆だったのかな、と。
お昼過ぎに、カレーを作っていた
その日は、お昼過ぎにカレーを作った。
作り終えて、ソファーに座っていた。それだけの、いつもの一日だった。
さて、シャワーでも浴びようかな。そう思って、ソファーから立とうとした。
そのとき、片方の足を地面につけられないくらいの痛みがあった。
え、と思った。もう一度試しても、激痛で動けなかった。
片方の足をつかなければ大丈夫だったけれど、その足を地面につけるとお腹が痛んだ。これはまずいな、とすぐに思った。
夫に先に連絡したのか、病院に先に連絡したのか、その順番は覚えていない。夫からはすぐ帰ると返事が来て、病院からはすぐ来てと言われた。
電話をかけてから
夫に電話をかけたあと、3、4歩だけ歩いた。
キッチンのカウンターに片手をついて、そこで止まった。座ることも、それ以上動くこともできなかった。
どうなるんだろう、という不安があった。
頭の中にあったのは、それだけだった。
病院に着いてから
病院に着くと、ロータリーで看護師が車椅子を持ってきてくれた。
痛みでなかなか体が動かせずにいると、喝を入れられた。やっとの思いで、車椅子に移った。
診察室なのか手術室なのか、よくわからない部屋に入った。ベッドに乗せてもらうのを手伝ってもらった。横になってしまえば、お腹の痛みは特に感じなかったと思う。ただ、足を動かすことだけが、痛くてできなかった。
内診のあと、「胎盤剥離かなー」と言っているのが聞こえた。
「今から緊急手術」と言われた
以前、医師にこう聞いたことがあった。28週くらいの早産なら、小学校に入る頃には、みんなと同じくらいの成長に追いつく、と。
まだ23週と1日だった。どうなっちゃうんだろう、と心配した。
自分自身のことは、正直、あまり怖くなかった。普通分娩も帝王切開もどちらも怖さがあったから、寝ている間に事が終わるのはラッキーだ、というくらいの楽観的な気持ちでいた。
子どものことも考えていたんだろうと思う。でも、周りがバタバタしていて、ドラマみたいだなー、と思っていたくらいしか覚えていない。
手術のこと
ベッドのカートに乗せられて、廊下の電気を見ながら、ガラガラと移動した。
手術室に入って、着ていたワンピースをハサミで切られた。
そこまでは覚えている。それから麻酔が入って、眠った。
目が覚めたとき
目が覚めたのと同時に、激しい痛みがあった。
覚えているのは、そのことだけだ。
子どもたちがもう別の病院に運ばれた後だと、いつ、どうやって知ったのかは覚えていない。聞いたときは、どうなるんだろう、という不安があった。
「子どもが生まれた」という実感は、正直、長い間わかなかった。
生まれてすぐの抱っこもできなかった。初めて見たのは、ケースに入った子を、ただ見るだけの状態だった。入院中に、子どもの状態を夫と医師に聞いて、辛すぎて、考えることを拒絶していた。
手術のあとの体
手術のあとの体は、すごく痛かった。
麻酔のせいか吐き気もあった。吐きたいのに、吐こうとするとお腹が痛くて、吐けなかった。それがとても辛かった。
膣口から手を入れて悪露をかき出される処置が、とにかく辛かった。ベッドの柵を握って、うめき声が出てしまった。何度もされたから、勘弁してください、と言った気がする。
子宮の戻りのチェックで、お腹を押されるのもしばらく続いた。これも、痛いからやめてほしい、と何度も看護師や医師に伝えていた気がする。
それから、1日に数回、電気が体の中を走るような痛みがあった。例えるなら、心肺蘇生に使う電気のようなものをお腹に当てられたような感じで、体がドンとなって浮き上がった。
悪露をかき出されること、お腹を押されること、そして電気が走るような痛み。この三つは、出産を経験した友達に話しても、誰にもわかってもらえなかった。
私の場合は、小さい頃のお腹の手術と、採卵のときの癒着がひどくて、こういうことが重なったのではないか、と医師は言っていた。
体が、吸い取られていく
出産は交通事故にあったようなもの、とよく聞く。本当にそうだな、と思った。
事故と違うのは、体のいろいろなものが、子どもに吸い取られていくということだ。
どんなにダイエットしても痩せなかった、たくましいふくらはぎが、出産の数日後に気づいたら、びっくりするほど細くなっていた。
エレベーターが混んでいたから、階段で病室まで歩こうと思った。一階までたどり着けず、半分のところで貧血を起こした。
搾乳だけが、できることだった
とにかく、搾乳が辛かった。
痛みに耐えながら、夜中も構わず、2時間おきに搾乳機を使って搾っていた。
はじめは大部屋だった。でも、周りと比べたくなかったし、赤ちゃんを見るのが辛くて、個室にした。
搾乳機は、ナースステーションから看護師が毎回持ってきてくれた。夜中もガラガラと音を響かせて運んでくれて、周りに迷惑かな、申し訳ないな、と思っていた。でも2、3日すると、私しか搾乳機を使っている人がいないから、と病室に置いていくようになった。それはそれで、やっぱり私しか使っていないんだな、みんな直接母乳をあげているんだろうな、と悲しくなった。
乳腺炎まではいかなかったと思う。でも毎回、胸がカチカチになって、看護師にしごかれて痛かったのも覚えている。
それでも、私にできることはこれしかないんだと思って、とにかく感情を無にして、母乳を出すことをがんばっていた。
病室では、よく一人で泣いていた。
今、振り返ると
この日のことで、映像のように残っている場面は、特にない。
覚えているのは、痛みのことばかりだ。
今、この日のことを振り返ると――人生で一番、辛かった。