退院が見えなかった

今、このページを開いている方は、もしかすると、その渦中にいるのかもしれません。

毎日通っているのに、いつ終わるのかが分からない。退院の条件は聞いている。でも、そこにいつ届くのかは、誰も教えてくれない。そんな時期かもしれません。私も、そうでした。

いつ終わるのか、分からなかった

子どもが退院するには、いくつかの条件がありました。呼吸が安定すること、口からミルクが飲めること。一つずつ満たしていくものだと、説明を受けていました。

ただ、双子でも、進み方は別々でした。同じ日に生まれて、同じように小さかったのに、片方が先に条件を満たしていき、もう片方は、なかなかそこに届きませんでした。

いつ終わるのか。その問いに、答えはありませんでした。手術や急変のように、その日に何かが起きるわけではない。ただ、終わりの見えない時間が、続いていきました。

片方だけが、待つことになった

先に条件を満たしたのは、兄のほうでした。そうして、片方は家にいて、片方は病院にいる、という状態になりました。

家で兄の世話をしながら、毎日、弟のいる病院へ通う。先に帰った子がいる分、残された子のところへ毎日は行けない日もあって、そのことが、ずっと申し訳なくありました。

通えば、比べてしまいました。隣の保育器の子が、背中をとんとんされて気持ちよさそうに眠っている。同じことをしても、うちの子はそうならない。比べても意味がないと分かっていても、つい、目がいきました。

退院の時期は、一度、示されました。今月の末あたり、と。けれど、その予定は崩れました。「退院の話ができる状態になったら、また声を掛けます」。そう言われたまま、いつそうなるのかは、分かりませんでした。

そのうち、主治医からの説明も、なくなっていきました。話がない日が続くと、それが進展のない時間のように感じられました。良い知らせも、悪い知らせもない。ただ、待つ時間だけが続きました。

面会に行って、ミルクを飲ませて、おむつを替えて、また帰る。次に来たときに、何かが変わっているのかどうかも分からない。その繰り返しの中にいました。

あの頃、見えていなかったこと

いつ終わるのか。その時の自分には、見当もつきませんでした。

ただ、毎日通っていると、ふとした瞬間に、小さく目が留まることがありました。

ある日、目をぱっちりと開けて、こちらを見ているようなときがありました。別の日には、呼吸が少し安定したのか、外を散歩させてもらえました。顔に貼られていたものが、いつのまにか取れている日もありました。

それが退院につながるものなのかは、その時には分かりませんでした。次の日にはまた、ぐずって暴れて、振り出しのように感じることもありました。

ただ、その出口の見えない時間の中にも、こちらを見ているような目が、確かにありました。


この不安の中にいた日々の記録

この時期の記録は、これから時系列で公開していきます。

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