妻への伝え方を間違えた日

双子が生まれて、二週間あまりが経った頃だった。

妻は帝王切開の手術明けで、まだ安静が必要だった。双子の面会には、行けていなかった。

病院へは、自分が通っていた。昼休みや仕事帰りに寄って、双子の様子を見て、妻から預かった母乳を届けた。

病院で聞いた話は、自分から妻に伝えていた。妻が知ることのできる双子の様子は、自分の口から伝わるものが、ほとんどだった。

別室に呼ばれ、レントゲンを見せられた

その日も、仕事帰りに面会へ行った。

兄の肺のことで話があると、別室に呼ばれた。

レントゲン写真を二枚、見せられた。通常の状態のものと、兄の現状のもの。見た目でわかるほど、違いがあった。片方は半透明で、片方は濁っているように見えた。

機械で呼吸をサポートしているが、限界がある。これで改善されないと、正直、手の打ちようがない。

はっきりと、そう言われた。

赤ちゃんの生きようとする力を、信じるしかない。そうも言われた。

兄の授乳は、ストップになった。

弟の話は、時間がなくて聞けなかった。

先生は「毎回こんな話ですみません」と言った。また急に連絡することがあるかもしれない、とも言われた。

家に帰るのが、憂鬱だった

この話を、妻にしなければならなかった。

家に帰るのが、憂鬱だった。

この頃、夫婦はお互いに限界だった。妻は手術明けで体調が戻らない中、搾乳でまともに眠れていなかった。自分は仕事と病院と家の往復で、病院では不安になる話ばかり聞かされていた。

家の中は、些細なことで空気が悪くなりがちだった。

寝室で、感情任せに伝えてしまった

家に帰って、夕飯を食べた。

そのあと、些細なことで言い合いになった。何が原因だったかは、覚えていない。

妻が先に、二階の寝室へ行った。

自分も、寝室へ行った。

薄暗い間接照明だけがついた寝室で、妻はベッドに座って、うなだれていた。

その妻に、その日病院で言われたことを、半ば八つ当たりのように、感情任せに伝えてしまった。自分は立ったまま、伝えていた。

その光景だけは、今もずっと覚えている。

妻は、糸がぷつんと切れたように、泣き出した。これまで見たことのない、嗚咽をまじえた泣き方だった。

その泣き方を見て、すぐに我に返った。

この先何が起きても、二人で乗り越えていかなければならない。自分にも言い聞かせるように、そう言って妻をなだめた。

同じ部屋で寝ることにした

それまで、夫婦は別々の部屋で寝ていた。

妻が、仕事のある自分の睡眠を気遣って、別の部屋で寝た方がいいと言ってくれていた。

その夜から、同じ部屋で寝ることにした。自分で、そう決めた。

隣にいるというだけで、少し安心できる部分があった。

翌日

翌日は、普通に接していたと思う。

その日も、仕事を終えてから、病院へ向かった。

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