今、このページを開いている方は、もしかすると、その渦中にいるのかもしれません。
保育器の前に立って、ただ見ている。親なのに、何もしてあげられない。そう感じている方かもしれません。私も、そうでした。
何もできない、という時間
NICUでは、抱っこができません。母乳を、自分の手で飲ませることもできません。決められた面会の時間に行って、保育器の外から、小さな体を見ている。最初は、それだけの日が続きました。
親になったはずなのに、親らしいことが、何ひとつできない。むしろ、機械と看護師さんが、自分よりずっと多くのことをしてくれている。その事実が、静かにこたえました。
その中で、できたこと
ある日、看護師さんに「やってみますか」と言われました。綿棒に母乳を浸して、小さな口にあてる。たったそれだけのことで、手が少し震えました。自分にも、できることがあったのだと思いました。
その母乳は、妻が三時間おきに搾ったものでした。自分の役目は、それを病院へ運ぶことでした。作ることはできない。でも、届けることはできる。やがて量が足りなくなり、ミルクドナーという制度に助けられた時期もありました。
保育器の中の子に、手のひらでそっと触れていい、と教わりました。握るのではなく、ただ手を添えて、頭を包む。それも親にできることの一つだと、看護師さんは言いました。
帰り際には、毎回「またくるねー」と声をかけました。返事はありません。聞こえているのかも、分かりません。それでも、声をかけてから帰りました。ある日、声をかけた直後に、目を開けたことがありました。
どれも、特別なことではありません。それでも、その小さなことを探しては、ひとつずつやっていました。
親にできることは、思っていた形とは違った
あの頃の自分は、「親なのに何もできない」と思っていました。
でも、できることは、想像していた“親らしいこと”とは違う形で、確かにありました。声をかけること。触れること。妻が搾った母乳を、運ぶこと。
この不安の中にいた日々の記録
-
初めて綿棒で母乳をあげた
-
母乳が足りなくなった日、ミルクドナーという制度を知った
-
「またくるねー」と弟が目を開けた
この続きは、時系列で順次公開していきます。
あわせて
- 180日の全体像から読む → NICUに半年通った父親の記録
- 同じ時期、母にとっての「自分にできること」の記録 →【母目線】搾乳生活、自分にできる唯一のこと