「変わりないですね」が嬉しくなくなってきた

兄の容態が急変し、収まったと思ったら今度は弟だった。その三日間が過ぎると、何も起こらない日が続くようになった。

面会に行っても、主治医から話がない。声をかけられることもない。担当の看護師さんが、その日のミルクの量と体重を教えてくれる。それだけの日が、何日も続いた。

「変わりないですね」が、嬉しくなくなってきた

先生からの話がない、ということは、順調ということだ。

そう信じるしかなかった。

少し前は、二人とも肺の様子がよくないと言われていた。何も言われないということは、悪化はしていない。ただ、よくなっているわけでもない。

とにかく悪化していなければいい。ずっとそう思ってきたはずだった。それなのに、よくならないことのほうが気になるようになっていた。

命に関わるような大きな心配ごとがあるわけではない。それでも、「変わりないですね」と言われるのを、喜べなくなってきた。

長期的にみる必要がある、と言われていた。

長期的とはどのくらいなのか、と聞いた。個人差があるので何とも言えない、という答えが返ってきた。それ以上のことは出てこない。もやもやしたものが残った。

医者として、確かでないことは言えない。先生は何も間違っていない。それは分かっている。分かっているのだけれど、親としてはやっぱり心配だった。

変わらない毎日の中で、起きていたこと

酸素のサポートは、増やせば増やすほど肺や目にダメージが蓄積していく。そう説明を受けていた。だから極力使いたくない。けれど、使わなければ呼吸が維持できない。

ずっとその狭間だった。数値を見ながら、少しずつ調整が続いていた。

その頃、酸素の値が落ちても、自分で戻ってこられるようになってきていた。悪いものが、少しだけいい方向に動いてきた。当時はそう受け止めていた。

保育器の中に手を入れて、背中をトントンする。この頃にはもう、言われなくても自分たちからやるようになっていた。トントンしながら二人を見ていると、穏やかな気持ちになる。たまにこちらがうとうとしてしまうこともあった。

目の定期検査が始まったのも、この時期だった。

兄は毎週、弟は隔週。兄のほうが酸素の投与量が多く、リスクが高いからだと説明された。

検査の結果は問題なかった。ほっとしたのも束の間、今度は骨がもろくなるリスクの話をされた。

一つ心配が消えると、また別の心配が増える。慣れることはなかった。慣れるわけがない。

成長は、数字でしか分からなかった

毎日通っていると、変化には気づきにくい。

そのうえ二人とも、いつも布団にくるまれていた。体全体を見る機会がない。だから成長しているかどうかは、看護師さんから聞く数字でしか確認できなかった。

弟の体重が、前より減っていた日があった。

減ることは想定していなかったので、一瞬、不安になった。むくみの水分が抜けた分だろう、と看護師さんは言った。大きく減ったわけではない。主治医から話があったわけでもない。そう説明されて、その不安を引きずることはなかった。

兄のほうは、順調に増えていた。950グラムまで来た。もうすぐ1000グラムになる。

600グラムで生まれて、ここまで来た。このままいってほしいと思った。

ミルクの量も、二人とも増えていた。母乳の生産が追いつかなくなるかもしれない、とこれまで何度も思った。けれどそのたびに何か問題が起きて、結局足りなくなることはなかった。

今度は足りなくなるくらい、順調に消費していってほしかった。

オムツ替えに立ち会って、初めて全体が見えた

弟のオムツ替えに立ち会うことができた。

自分がやったわけではない。呼吸の測定や点滴など、いろいろな機器がつながっている。まだ手を出せる段階ではなかった。横で見ているだけだった。

呼吸が大きく乱れることもなく、処置は終わった。

いつも布団にくるまれていて見えなかった体全体が、そのとき久しぶりに見えた。

大きくなっている、と思った。

皮膚はシワシワだった。この時期の赤ちゃんはこんなものだと看護師さんは言っていた。

もう少し容態が落ち着いたら抱っこもできますよ、と言われた。

次の目標はそこだと思った。

その抱っこが、いつになるのかは分からなかった。

ここまでの経緯を考えると、いつになることやら、という気持ちがあった。同時に、一日でも早くその日が来てほしいと思っていた。もうすぐだとは、思っていなかった。

先のことは、本当に読めなかった。

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