「変わりないですね」と言われる日が続いていた。
それが動き出したのは、面会で先生から新しい話を聞いた日からだった。
「呼吸の管を抜くチャレンジをする」と予告された
話は二つあった。
一つは、兄のミルクを胃ではなく腸に直接チューブで入れる方式に変えること。胃が膨れると横隔膜を圧迫して、呼吸の妨げになるからだという。
もう一つが、この1〜2週間で呼吸の管を抜くチャレンジをする、という予告だった。
前に進む話のはずなのに、その日は二人ともアラートがよく鳴った。心配でしかない、と当時の日記には書いてある。
一番厳しい先生から、初めて辛い話が出なかった
先生の中に、いつも一番厳しいことを言う先生がいた。厳しい話を聞くのは辛い。それでも、この先生のことを一番信頼していた。
その先生との面談で、初めて辛い話が出なかった。今まで話した中で、一番前向きな内容だったと思う。
翌日、兄の目の検査は異常なし。次からは2週間に1度でいいと言われた。弟の呼吸器のレベルも、一段階上がった。
その翌日には、兄の呼吸器が同じレベルに追いついた。久しぶりにいい報告ができて良かった、と先生は言った。
同時に、心構えの話もあった。管を抜いても、また酸素を付けることになるかもしれない。付けたり外したりを繰り返しながら進むものだから、そうなってもショックを受けないように、と。
正直、兄のほうはもっと時間がかかると思っていた。
呼吸器が外れて、初めて我が子の鳴き声を聞いた
数日後、病院の廊下で主治医の先生に会った。帰り際だったのに、先生のほうから声をかけてきてくれた。
兄の呼吸器を外すことができた。朝から夜まで、外した状態を維持できている。また挿管することになるかもしれないけれど、これはすごい進歩です、と。想定よりもだいぶ早い、とも言っていた。
面会に行くと、兄が泣いた。
保育器の中からなのに、外まで聞こえる。うえーん、うえーん。文字にすると、それしか書けない。初めて聞く、我が子の鳴き声だった。
素直に、感動した。
妻にも聞かせたかったが、動画が間に合わず、録音できなかった。このまま維持できれば、聞くチャンスはいくらでもあるはずだと思った。
管の減った顔も見た。親ばかだが、兄にはアイドルのような可愛さがあると思っている。それが引き立って見えた。
初めての抱っこは、全力で嫌がられた
翌日に測った体重は、兄が1031グラム、弟が978グラム。兄は1000グラムを超えていた。
カンガルーケアの説明書ももらい、抱っこが具体的な話になってきた。
その二日後、兄を初めて両手で持ち上げた。初めての抱っこ。
看護師さんから両手に渡される形で、自分から保育器の中の子を持ち上げられる段階では、まだなかった。
非常に軽い。それなのに、骨ばった感覚が手に伝わってくる。骨がもろくなるリスクの話を、少し前に聞いたばかりだった。壊しそうで怖かった。
これ以上できないくらい慎重に、絶対に落としてはいけないという気持ちで抱いた。とにかく緊張した。
兄は、かなり嫌がった。泣き声のボリュームがすごくて、別の看護師さんが様子を見に来たほどだった。
弟の呼吸器も外れた
弟のチャレンジも予告されていた。日にちが決まっているわけではなく、数日のうちに、という話だった。
延期になった日もあり、備えてステロイドを投与すると説明があった。その頃の弟は心拍のアラートが何度も鳴っていて、少し心配だった。
面会に行くと、取れていた。
弟の呼吸器が外れて、今のところ安定しているという。これで二人とも、呼吸器なしになった。
鼻から管の抜けた顔を見て、跡がクセにならないかと、そんな心配をした。それから、無条件で可愛いと思った。親ばかだが、一番可愛く見えた瞬間だった。
兄はこの日もギャン泣きしていたが、頭を手で包むようにすると静かになった。
呼吸器を外してから、赤ちゃんとのふれあいがすごく楽しい。当時の日記は、そう締めくくられている。